2018/4/14

大皿で皆で撮り合うような料理が苦手だ。気の置けない友人や家族ならまだ我慢できるが、親しくない知り合いや上下関係のある人間だと余計に気を使ってしまい料理を素直に楽しめない。大皿料理では個別の料理で確保されているパーソナルスペースを、互いに重ね合うことが不可避であり、料理の分量、箸づかい、溢れる料理、などなどなど、我慢ならない点が多すぎる。気の知れた友人や友達はこの点どうかというと、そういう関係になるような人間は自分が不快にならない程度にわきまえているし、家族に至ってはそもそも許されるような感性の教育(食育)を自分に施してきている。下品な食べ方をする人間を私は気にするし、上品な食べ方をする人間に気にされるかを私は気にしてしまう。ただ、食事よりも本当に鼻持ちならないのは他人による寝床だ。寝床は自身の体を敷布団と掛け布団でほとんど覆いつくす。時として顔を埋めて幸福な睡眠を貪る。ここに他人の匂い、他人の散らかしたゴミがあるだけで眠りにつくことはおろか、自分の寝床であるにもかかわらず横になることすら憚られる。これらは生き物としての縄張り意識に結びついているのは間違いないだろうし、人間である以上当然気になってしまうものであると考えているが、世の中にはなにも気にならない、なにも気にしないように見える人間もいるようだ。